生活、音楽、吉井さん
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ご機嫌斜めはまっすぐに
お昼っていいとも以外他に番組なにやってるんだろう
それくらい私もお昼=いいとも!だった一人。
小学生のころからいつの間にか見ていて
なんでかわからないけどタモリさんすきーって思って
「クサナギクン」金曜日出てるからよけい見てて
剛くんに関して抱いてる夢
いいともの観覧
ただ一つ、これだけはもう
絶対に叶えられない夢になってしまった
叶えられなかったからこそ
これからもずっと忘れることはないでしょう
スマスマで剛くんは今の気持ちを
始まって終わるっていう
シンプルで当たり前なことを今実感してる
って風に表現してたなあ
いいともと剛くん
タモリさんと剛くんは
ファンにとっても特別な想いがあるのではと思います
お正月のはなしはもちろん
復帰後初のお仕事がいいともだったこと
あんなに頑なだった禁酒を解いてくださったのがタモリさんだったこと
私にとって涙が止まらない出来事でした
私もいいとものタモリさん大好きだったし
SMAPのレギュラー3人の想いをとても感じてたから
タモリさん
いいともが終わっちゃったなんて
本当にさみしいです
でも
本当に本当にお疲れ様でした
「いつものお昼」を
ありがとうございました
宴会はどうだったかな
剛くんたちからこぼれ話が聞けるのを楽しみに。
それくらい私もお昼=いいとも!だった一人。
小学生のころからいつの間にか見ていて
なんでかわからないけどタモリさんすきーって思って
「クサナギクン」金曜日出てるからよけい見てて
剛くんに関して抱いてる夢
いいともの観覧
ただ一つ、これだけはもう
絶対に叶えられない夢になってしまった
叶えられなかったからこそ
これからもずっと忘れることはないでしょう
スマスマで剛くんは今の気持ちを
始まって終わるっていう
シンプルで当たり前なことを今実感してる
って風に表現してたなあ
いいともと剛くん
タモリさんと剛くんは
ファンにとっても特別な想いがあるのではと思います
お正月のはなしはもちろん
復帰後初のお仕事がいいともだったこと
あんなに頑なだった禁酒を解いてくださったのがタモリさんだったこと
私にとって涙が止まらない出来事でした
私もいいとものタモリさん大好きだったし
SMAPのレギュラー3人の想いをとても感じてたから
タモリさん
いいともが終わっちゃったなんて
本当にさみしいです
でも
本当に本当にお疲れ様でした
「いつものお昼」を
ありがとうございました
宴会はどうだったかな
剛くんたちからこぼれ話が聞けるのを楽しみに。
*
慎吾ちゃんの肩を叩いて送り出す剛くん。
(慎吾)
32年間お疲れ様でした。
えー...ぼくは、えー...94年から、17歳の時から、20年間、お世話になりました。この4月でちょうど、20年になります。
まずぅ...すごく涙が出そうな、想いが、昼間も今日月曜日が、月曜日あったんで、あったんですけど、昼で終われればそこでぼく泣いてたんですけど夜もあったからすごい、変な、一日でした(笑)
ほんとは昼間で(笑)終わりたかったですけど、あと、昼間始まる前に、あんまり20年ぼく行ったことのないタイミングでトイレに行ったらちょうどタモさんと一緒になっちゃって、タモさん気づいたかどうかわかんないですけどタモさん小の方にいたんですけどそのままぼくあいさつせずに大きい方に隠れましたすみませんでした。
ちょっと...あの...大きいです20年って、しかも10代からだったんで...
タモさん...は...特に何も教えてくれませんでした。
でもずっとタモさんの背中はみてました。
20年一度も怒られたことないです。ちっちゃいことでも怒られたことないです。
ぼくひどかったのが、90年代97年か8年ぐらいのころに、いいともカップ、が始まったぐらい、の時間12:50ぐらいに、遅刻して入ったことがあります。ありえません。すみませんでした(頭を下げて)。それが終わって謝りに行ったときも「あ〜あ〜わかったわかった」って怒りませんでした。
あと...
信じられませんまだ
答えはいりませんが...ちょっと我慢できずに言います答えはいらないですけど、そもそもなんでおわるんですか(目を背けながら)。
えー...(笑)
あのぉ(笑)えーいっぱい言いたいことあるんですけどほんとにいろいろ考えてここずーっとここのところ考えてたんですけど結局は何も考えずにここまできました。あのつよぽんがすごく仲良くてタモさんち行ったりするのすげー!ずっとうらやましかったです。あとぼくあのなんかケータイの番号教えたりとかあんまそういうのが苦手な人でなかなかタモさんと話す時間もなかったりして、で中居くんとかそういうのすごくする、するんですけど、で中居くんとか食事よく行ったりしてるの知っててあそーなんだーとか言いながらもぼくも行きたかったです。
まお前が、なんか番号渡したらお前がいきゃーいーだろって話なんですけど、そういうのほんとに苦手で、ほんと、でも...(髪をぐしゃぐしゃさせて)
えー...
あとあのぉ、生放送で、毎週20年間、出さしていただいて、テレビに出ているぼくですけど、SMAPでもつらかったり、苦しいことあって(涙が)、そ...そんなときに、笑ってなきゃいけないのがつらいときもあって、笑っていいとも!っていうのがつらい苦しいときもあったりするんだけど、はじまったら、笑顔になってる自分がいて、苦しかったりするときにぃ昼間にいいともみるとあぁタモさんやってたりみんなまたやってるって
(頭をたれて)ごめんなさいほんと...
ほんっとにありがとうございました
タモリさんこれからも、つらかったり苦しかったりしても、笑っててもいいかな!
タモリさん「いいとも!」
ありがとうございました!
(剛くん)
タモリさんお疲れ様でした32年間。
えーそうですね、ほんとにタモリさんにはたくさんお世話になりまして、言いたいことたくさんあるんですけど、あのぉ...
日本にはすごいおもしろい人がたくさんいるなって今日また改めて思いまして(笑)すごいコメディアンがたくさんいるなと(笑)あのぉもう、お笑い怪獣だらけだなと、今日思いまして、あのぉほんとに僕ら、まSMAPとしてアイドルとしてですね、あのぉこういうお笑いの一線で活躍されている方と、こう18年、20年間と、一緒にこう仕事できたっていうのをこう、奇跡だなと思いました。で当時はほんとに、そんな方々なので、前に出て行くことも出来なくて、ほんとに悩んでいることが多かったんですけど、今日ほんと、思いました、無理だなと、この人たちの中で、前に出て何か発言するのは、すごいことなんだなって、まそれも改めて思いました。
で、そうですほんとにぃタモリさんにはお世話になってるんですけど、あのぉ、そうですねみんなほんとにここにいる人はタモリさんのことが大好きで、でタモリさんからたくさんの影響を受けた人たちがみんなで、その中で僕も何を言おうかなと思ってたんですけど、あのぉ、タモリさんのそばにいるとですね、なんか、物事とかをこう、違う目でこう見ることができて、なんか、いろんなこう世界とかを、違う目でこう自分が見れるようになったりとかして、あのいろんな世界をこう広げてくれるのがタモリさんのすごい素敵なところだなあと僕はあの、まあ、そんなまだ20年ぐらいなんです、ですけど、なんか思いました。
それと、なんか物事の固定観念とかを、こう取り除いてくれるところがなんかすごい素敵な、あのぉおじさんだなと思ってます。
えー、それとまあみんなもそうだと思うんですけど、あのぉタモリさんの笑顔を見てますと、なんか、あのぉ笑った顔を見てるとなんか、自分が悩んでることとかがぁ、なんかばからしいなぁと思えて、なんか元気に、前向きになれる自分がいるので、あのぉタモリさんの笑顔はほんとにみんな大好きだと思います。僕もなんか、歳とったときにですね、タモリさんみたいに、あの素敵にあの笑える人間に、なりたいなと思います。あのこれからも、えー、あのぉ、かっこよくて、そして、ちょっと変態なおじさんでい続けてください。お疲れ様でした。
(中居くん)
えータモリさん、32年間お疲れ様でした。
えー、僕が、いいともに携わる、うーちょうどこの、2014年の4月ぴったりで、えーぴったり20年になりました。
えー振り返ってみますと、94年のこの4月、んー、まだ、有名でもないですし、そのジャニーズのアイドルとして、人気もあるわけでもなかったですし、知名度もなく、ましてマネージャーさんとかもいない、えー僕らを、まず、レギュラーとして迎え入れてくれて、えー、まず深く感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました(頭を下げて)。
やっぱり、バラエティーって非常に残酷なものだなとも思います。おかげさまであの、歌もやらさせてもらってお芝居もやらさせてもらってバラエティーもやらさせてもらって、歌の世界っていうのは、いずれかライブとかやれば最終日があって、ドラマもクランクアップがあって映画もオールアップがあって、なんか、始めるときに、そこの終わりの、ゴールにむかって、それを糧にして、進んでるんじゃないかなって、思いますでもバラエティーは、終わらないことを目指して、進む、ジャンルなんじゃないかなと、覚悟を持たないと、いけないジャンルなんじゃないかなと、思いながら、いいともに出させてもらったことをきっかけに、僕は、バラエティーを中心に、SMAPとしてやらさせてもらおうかなと
非常にやっぱり、バラエティーの終わりは(涙が)、さみしいですね。他のジャンルは、評判がよかろうが、わるかろうが、終わりがあるんですけど、バラエティーって、ゴールないところで終わらなければならないので、こんなに残酷なことがあるのかなと、思います。
当時俺と香取で、ほんと何も出来なかったんですよね。今日はこれやろう、今日はこの話やろうっつっても何もやらなかった出来なかったんですけど、でも、番組を、タモさんをアシストすることが、楽しい番組を娯楽を提供する手段の一つでもあるということを僕は学びました。
残念ですね。
こんなに残念なことはないと思います。
さっきも話してましたが、タモさんはあの、怒りもしないですし、褒めもしてくれない方でしたけど、ここ、ようやく2年、3年4年ぐらい前から、ようやくご飯を、食べれるようにタモさんとなり、あるときお酒を飲んだとき、タモさんが、ま酔っ払ってたっていうこともあったんですけど、僕のことを優しく抱きしめて、優しく頭をなでて、「中居、俺はお前に感謝してるからな、本気でお前のこと感謝してるからな」って言ってくれたのがすっごく、すっごくうれしかったです。
今こんな形で、ジャニーズとかバラエティーとか普通にやってますけど、ほんとにあのいいともに出させて俺と香取出させてもらって、ジャニーズもバラエティーとか全然知らない、育て方とか知らない中、こんなチャンスを与えてくれてありがとうございました。
20年間、怪我したり病気したことで休んだことありました。でもどんなことがあっても僕は20年間、アルタに通い続けました。ある人は、お正月になったら一年に一回休んでる人がいて、なんでこの人、一年に一回、ハワイに行くために(会場わらい)毎年毎年休みやがって、特大号のモノマネで、自分がウケなかったからっつって、不参加になって、誰かと比較するのは好きじゃありませんが、僕は20年間、えーほんとに休むことなく、サボることなく、えー私的なことを除いて、えーしっかりと全うできたと、20年間で、タモさんが、えーもう成人だから卒業していいんだよと、え仰ってくれているんじゃないかと、勝手に解釈をして、今後もいいとものレギュラーとして、え胸を張って、いいともずっとやってたんだよと、胸を張って恥じないように、今後もバラエティー、他のジャンルも含めてがんばっていきたいと思います。
タモさんありがとうございました。